HISTORY

壁一面スピーカー!
老舗ジャズ喫茶パブロを蘇らせた
二人のクリエイターの話

元々この店は「Jazz in パブロ」として1984年にオープンした。しかし、東日本大震災でマスターは津波の犠牲になった。それ以来店は閉じられたままだったが、2017年12月、奇跡が重なり復活した。その名も「COFFEE & SESSION PABLO」。ここは二人のクリエイターがオープンさせた店だ。お店が開店するまでのストーリーを二人に聞かせてもらった。

Interview: 2017 Text: WALTZ 髙野明子 Photo: 千葉こずえ

壁一面スピーカー!
老舗ジャズ喫茶パブロを蘇らせた
二人のクリエイターの話

チリンチリンと軽やかな鈴の音がするドアを開けると、カウンターで店長がとびきりの笑顔で迎えてくれる。
奥には壁一面の巨大スピーカーが佇み、ズーンと心地よいベース音が体に浸透する。
銅のランプシェードからオレンジ色の光が漏れ、よく使い込まれた組み木の床に温もりを感じる。 元々この店は「Jazz in パブロ」として1984年にオープンした。
しかし、2011年3月11日の東日本大震災でマスターは津波の犠牲になった。
それ以来、店は閉じられたままだったが、2017年12月、奇跡が重なって復活した。
その名も「COFFEE & SESSION PABLO」。
ここは二人のクリエイターがオープンさせた店だ。
お店が開店するまでのストーリーを二人に聞かせてもらった。

人生何があるかわからない、
毎日を思いっきり楽しもう

店長の半澤由紀(はんざわゆき)さんは、1987年名取市生まれのクリエイター。
高校と専門学校で美術やジュエリーのデザインを学んだ。東京の学校を卒業後、そのまま東京で働いていたが、東日本大震災によって大好きだった母と叔母を亡くした。閖上にあった実家もなくなってしまった。
東京では周囲の気遣いが重荷に感じてしまったり、宮城にいる被災者の気持ちとの距離を感じてしまったり、苦しい思いをした時期もあった。

半澤由紀さん(以下、由紀)
「絵本作家になりたい」と話していた母の夢と「オーロラを見たい」と話していた叔母の夢を思い出して、思いきってヨーロッパに渡ることにしました。
フィンランドでは、アートスクールの校長先生の家に住み込ませてもらい、子どもたちに美術を教えたり、自分で作った雑貨を売る機会をいただいたり、とても刺激的でした。
それからサンタクロースが住んでいるという、ロバニエミという町にオーロラを見に行きました。
観測がなかなか難しい環境でしたが、叔母の写真を胸のポケットに入れて、他のツアー参加者が寝ている間も諦めずに待ち続けていたら、オーロラが現れ、叔母の夢を叶えることができたんです。

由紀さんが撮影したフィンランドで見たオーロラとアートスクールでの授業の様子

そう語る由紀さんからは、人生何があるかわからないから毎日を思いっきり楽しもうという、前向きな思いが伝わってくる。
由紀さんはイギリスやフランス、スペインなど8カ国を巡り、目にした風景を絵で表現し、感性を磨いた。
帰国後、ヨーロッパで仕入れた雑貨とハンドメイドのオリジナルジュエリーを扱うお店「ihania leikkimokki(イハニア・レイキモッキ)」を仙台で開いた。
フィンランド語で、素敵なものに囲まれた小さな子供部屋という意味だ。

由紀さんの雑貨店「ihania leikkimokki」
由紀さんの作品はPABLOで購入することができる

ある日、お店に高校時代の担任の先生が訪れた。先生はジャズ愛好家で「Jazz in パブロ」の常連客だった。
マスターが亡くなり閉店してしまったパブロは、今ごろどんな状態なのだろうかと話題になった。
マスターの娘さんは、由紀さんと仲の良い幼馴染だった。
「半澤、あそこで店やったらどうか。」先生の何気ない一言が由紀さんを導いた。
それまでは、パブロを知っていたけれど訪れたことがなかった。
カフェを開いてみたいと思ったことも一度もなかった。
しかしどうにも気になって、幼馴染に頼んで、閉まっていたパブロを開けてもらった。
店を目の前にした瞬間、衝撃が走った。
「私、ここで店をやりたい。」
と思ったのはいいもの開店するためには資金が必要であり、当時の由紀さんにとって実現は不可能に近かった。
歯がゆい思いを抱えながら一週間を過ごした。寝ても冷めても、パブロの情景が頭から離れなかった。

人との繋がりによって、
良質なエネルギーが循環する環境

一方、由紀さんがお店を開いた同じビルの中に、映像制作会社のオフィスを構える映像ディレクターがいた。
彼が、現パブロの二代目マスターとなる村上辰大(むらかみたつひろ)さんだ。
辰大さんは、1985年仙台市生まれ。映像と音楽のクリエイター、そして「DJ辰」としての顔ももつ。
辰大さんが青春時代に何よりも没頭したのは「ダンス」「DJ」「自転車」だった。

小さい頃から父親の影響でスキーに取り組み、冬になると毎週雪山へ通った。
夏のトレーニングのために自転車を始め、高校の頃には東北一周や、仙台から東京まで往復の旅を経験。
大学生になると、引っ越し先の柴田町から仙台にある大学まで自転車で往復約50kmを通学し、日頃の生活をトレーニングの時間にしていた。
高校生の頃からストリートダンスにも興味を持ち始める。

村上辰大さん(以下、辰大)
東北工業大学に入学してからダンスサークルを立ち上げました。
当時は10人くらいの人数でしたが、今では後輩に引き継がれ70人くらいのメンバーがいます。ダンスの曲の編集を自分でするようになって、音楽の魅力に気がついたのと先輩の後押しでDJもするようになりました。
辰大さんの周りには、そんなふうになりたいと憧れるようなDJやダンサーの大人が多くいた。大学卒業後は、サラリーマンをしながらDJの活動を意欲的に続けた。
辰大:25歳の時に頑張りすぎて過労で倒れてしまったんです。
DJをやりながらサラリーマンをやるのは厳しいと痛感していたところ、そのタイミングでダンスの映像を作ってくれていた相方も独立することになって、一緒に「UGcrapht」という会社を立ち上げることになりました。
そんな中で、辰大さんは次第に、みんなが集まれるカフェをつくりたいと思う夢を持ち始める。
辰大:2013年頃、UGcraphtの東京オフィスは、一階にカフェのあるシェアオフィスにあったんです。
いつかこんな場所をやりたいと思い始めました。
仙台オフィスはまるで部室みたいで、人を招くにも難しくて、打ち合わせは外のカフェでしていました。
環境を整えることができれば、人も集まりますし、今まで繋がりのなかったところから新しい仕事が生まれたりする。何よりも、自分が毎日充実した状態でクリエイティブに挑めるということは、周りの人にも、仕事にも良い影響を及ぼすのではないかと思いました。
2014年に辰大さんは、アメリカのシアトルやサンフランシスコを2週間かけて車で4000kmの旅をし、現地のカフェも中心に巡った。
その中でもサンフランシスコにある「SIGHT GLASS」というカフェに衝撃を受けた。
夢に思い描いていたイメージと全く同じだったのだ。
そこは一階がカフェ、二階の奥が事務所になっていた。

辰大さんが撮影したサンフランシスコの「SIGHT GLASS」

辰大:ウッディーな素材とコンクリート張りの組み合わせの空間で、自転車を壁に掛けられたり、ペットも中に入れたりと、自由で開放的で活気に溢れていました。エネルギーがすごかったんです。

二人の夢が交差する

その次の年の2015年の春、由紀さんがパブロの扉を開けて衝撃を受けた一週間後のことだった。
同じビルにオフィスをもつ辰大さんが、由紀さんのお店にふらっと遊びにきた。
偶然由紀さんは、夏にサンフランシスコへ雑貨の買い付けをしに行くことを伝えた。
それを聞いた辰大さんは、半年前に出会った「SIGHT GLASS」と、夢に思い描いているカフェの話をした。
「サンフランシスコに夢で思い描いているのと同じカフェがあってさ、是非行ってみて!いつかこういうカフェができたらと思っているんだよね。」
「私、一階をカフェ、二階を事務所にできる、似たような物件知っているんです。」
二人の間に雷が落ちた。
さっそく、辰大さんと由紀さんはパブロを訪れる。

震災当時のまま時間が止まった店内に、辰大さんは驚きを隠せなかった。
壁一面のスピーカー。
1000枚を超えるレコードのコレクション。
大切に磨き抜かれた愛車の自転車やカメラ。
マスターと自分に共通点を感じずにはいられなかった。
そしてマスターがお店を始めたのは、辰大さんと同じくらいの年齢の頃だった。

パブロを再び開くと二人は腹に決めた。
マスターのご家族の理解と協力があり、物件を借りることができた。
そこから怒涛の開店準備が始まった。
辰大:収支計画を立てるときに、まずは大前提でパブロという場所が喫茶店であることを大事にしたいというのがありました。インテリアも当時のままでヴィンテージだし、ここを改装してクラブにしましたというような、残念な話にはしたくありませんでした。
パブロの空間に足を踏み入れれば、マスターがどんなにこだわりを持つ人であったかを知ることができる。スピーカーひとつ、レコードブースひとつ、天井の組み木ひとつ、どれを取っても特別な思い入れを感じる。

辰大:ここは、マスターの色があって「俺はこれを選ぶ。嫌われても別に良いけれど、どうかな?」という心意気をすごく感じるんです。
辰大さんと由紀さんは力を合わせて、マスターが築いてきたことをなるべく壊さずに開店させたいと考え始めた。

マスターのこだわりを追い求めて、
コーヒーの道

マスターが特にこだわっていたのはコーヒーだった。コーヒーを担当することになったのは由紀さん。
一流を極めないとカウンターに立てないことに気がつき、コーヒーの勉強を本気で始めた。
あえて個人店よりも多忙な大手チェーン店のカフェで毎日働き、営業に必要な身体性や業務内容を身につけた。
休みの日には何軒ものコーヒーロースターを巡り、理想の豆を探しに歩きまわった。
由紀:最初は基礎がないので、信頼のおける老舗のコーヒーロースターで話を聞かせてもらったり、淹れ方を教えてもらったりしました。
最初は怒られたりもしたけれど「教えて下さい!」と通い続けて、今では孫のように可愛がってもらっています。(笑)
あるコーヒーロースターでは、パブロのマスターが仕入れていた当時の豆の味を覚えてくださっていて、同じ挽き方の豆を取引させてもらっています。
その他にも、私が本当に美味しいと思った豆を、いくつかのコーヒーロースターから仕入れています。
今は、以前のお店に通われていたお客さんから、当時のコーヒーの味を教えていただきながら味を近づけようと努力しているところです。

マスターが使っていた道具を引き継いでコーヒーを淹れている
由紀さんがコーヒーを学んでいく中で発見したことがある。
由紀:コーヒーは「出会い」だなと思いました。
淹れる人、環境、豆、気温、一つ違うだけでも変わるので、この空間で飲むその時の一杯の味というのは一期一会なんです。

ついには、コーヒーの原点があると言われるアフリカのエチオピアまで旅した。
由紀:私が好きな豆はエチオピアのシダモ地方で栽培されているもので、現地を訪れました。
豆は、焙煎前に洗うか洗わないかで風味が変わるのですが、シダモ地方で水洗式ができるのは湖があるからだということがわかりました。
エチオピアの他の地域では湖がなく水が貴重なので、ナチュラルな豆しかないのです。
現地を肌で感じてわかったことでした。

由紀さんが撮影したエチオピアのコーヒーセレモニーと子どもたち

エチオピオの人たちはフィルターを通さずに、黒いジャバナというポットにすり潰したコーヒー豆を入れて沈殿させ、直接豆を砕いて煮出して飲んでいます。
女性が1日に3回淹れ、男性たちが囲んで飲むという、1000年前から続く伝統的な儀式のようなもので、コーヒーセレモニーと呼ばれています。
それはそれで素晴らしく、美味しいのですが、日本人のような細やかな淹れ方をしている人はいませんでした。
現地の農園の人々は、日本人の私たちから見たら美味しい豆を栽培しているけども、価値を知らずに過酷な環境の中、低賃金で労働していて、もっと誇らしく仕事をできるようになったらと考えさせられました。
そういった経験も踏まえて、これからもコーヒーと向き合っていきたいと思います。

新しいセッションが生まれる場所へ

こうして2017年12月1日、「Jazz in パブロ」は「COFFEE & SESSION PABLO」としてオープンした。
辰大さんが大きなスピーカーを鳴らし、故マスターのジャズコレクションに加え、新譜のジャズやJazzy HipHopまで、その日の雰囲気に合わせた心地よい選曲をする。
由紀さんが選び抜いたこだわりの豆で、一杯一杯心を込めて丁寧にコーヒーを淹れる。
コンセプトは、ジャンルを超えた音楽の共演(セッション)、同じ趣味嗜好を持つ人たちの集い(セッション)、パブロという特別な空間と人・カルチャーのセッションだ。

デザインされた新しいロゴのPABLOのPはコーヒーカップの持ち手、Oはレコードの形を象徴している。
レコードの形には、セッションに必要な「PEOPLE」「SPACE」「TIME」「MUSIC」「CULTURE」の5つの要素を1つに「つなぐ」「MIXする」という意味が込められている。
お店を開店してみて、二人は今どんなことを感じているのだろうか。
由紀:私はここが地元なので、懐かしい人や友人が来てくれるのがとても嬉しいです。
マスターと同年代のお客さんが開店と同時に待ってましたとばかりに来てくれて、以前のパブロの思い出話をしてくれます。
「当時これを聞いていた」「このレコードを持っている」「スウィングジャーナル(音楽雑誌)が懐かしい」といろんな言葉が飛び出します。
昨日、常連だった年配のご夫婦が曲のリクエストをくださったんです。
1000枚ある中からなんとか探してレコードをかけることができました。
帰り際、「タイムスリップしたみたい」って涙ぐみながら奥さんが言ってくれて、私も泣きそうになりました。

辰大:開店してみて、マスターが築き上げてきたパブロのブランド力の凄さを実感しています。
以前のパブロに通っていた常連さんがいらっしゃると、私からお客さんに昔の話をしていただくこともあります。
「コーヒーの味はどうですか?」「店内の照明の明るさはどうですか?」と当時のことを聞いて、マスターが大事にしていたものを私たちなりに消化して、さらに今の店内に反映させていきたいと考えています。
ほぼ毎日来てくださるお客さんもいます。
あまり会話はしないけれど、私たちのことを応援してくれているのを感じています。
大袈裟かもしれませんが、音とかコーヒーは二の次で、パブロという店をやる私たちの生き方とか心意気を気に入ってくれたんだという印象を受けました。

連日パブロでは、昔の常連客、由紀さんや辰大さんと同世代の客が交じり合いながら、大きなスピーカーの音に耳を傾け、同じ時間を過ごしている。
由紀さんと辰大さんのこれからの展望は、パブロを、文化が集まり交流する場所にするということだ。
また一人お店に客が入ってきた。
「前を通ったら灯がついていたから、まさかと思って車を停めたのよ。また再開したなんて嬉しいわ。」

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